透明人間が如来に会ったときの話です。
彼は愛と慈しみに溢れた人間でした。
「すべてがあり、すべてがない」
彼は透明人間でした。
透明であれば、透き通る気持ちで、すべてのあるがままを慈しみ、あるがままを愛することができると信じていたからです。
ただ、彼は完全な透明ではいられませんでした。
その心は、どこか茶色がかった、濁りのある透明でした。
そこで彼は、より完全な透明に近づくため、自己をどんどん無くしていきました。
喜びを手放し、怒りを手放し、哀しみを手放し、楽しさを手放し。
すべてを遥か遠くにある、美しい星々のように眺めていました。
そうすると、やがて自己というものが曖昧になってきました。
人としての輪郭が、霞のようにぼやけていきます。
しかし、元々あった境界が薄れれば薄れるほど、かえって濃く、鮮明に映るものがありました。
それは、彼の境界から遠く離れた、同時に最も奥深くにあるものでした。
妬み・憎しみ・憤り、そして、どうしようもない悪意です。
彼はすべてを慈しみたいという願いの裏側で、心の底では思い通りにならぬ全てを慈しめてはいませんでした。
すべてを冷たく見下し、軽蔑していたのです。
つつがなく、誰を傷つけることもなく、すべてのものを愛して生きた彼は、やがて静かに死を迎えました。
奥底に、重く、茶色い泥を沈殿させて。
その、まさに死に際に、星の瞬きのような優しい光と共に如来が降りてきました。
「あなたを救いにきました」
「ああ、なんと、慈悲深いことでしょう」
「さあ、すべてを委ねなさい」
彼
「なんとありがたきことでしょうか」
如来
「あなたの生は、どのようなものでしたか」
彼の心は躊躇していました。
しかし、如来の圧倒的な神性を前にして、彼は自分の意思に反して、口にせざるを得ませんでした。
「私は、世界を愛そうとすればするほど、自分の中の悪意と嫉妬にまみれていくのを感じていました」
「私は透明人間などではありませんでした」
「エゴと嘘にまみれた人間だったのです」
その告白を聞いても、如来は表情一つ変えません。
その瞳には、海の底を彷彿とさせる、すべてを飲み込むような、どこまでも深い静けさがありました。
そこにはすべての愛がありました。
同時に、一才の偽りのない、本物の、すべてに対する純粋な慈しみの目がありました。
そこにはすべての執着はありませんでした。
如来は彼に静かに近づいていきました。
そして、彼の曖昧になっていた境界の内側に入っていきます。
彼の心には嫌悪感が浮かんでいました。
如来は茶色い泥となった彼を優しく抱きしめました。
そこには確かな熱と息遣いがありました。
彼はその生命のような何かに、「気持ち悪さ」が止まりませんでした。
如来は、そっと彼の耳元に唇を寄せ、こう囁きました。
「あなたのような人こそ、私が救うべき人々なのですよ」
如来は少し時間を置いて続けました。
「だって、あなたはまぎれもない悪人なのですから」